子供が数学ができるようになるためには

教育 2013.02.16 Saturday msophia

以下の記事は脳生理学の専門家の「数学がどうしたらうまくなれるか」というお話である。私も数十年子供たちと勉強をしてきたのだが、数学が解らない子供には手を焼いてしまう。特に、最近では私の塾は大学受験生を相手に見ているから、「既に手遅れ」だと思わされる生徒さんもいる。「計算力」「集中力」「図形問題で求められるカン」「確率問題解答力」が弱いと、やはり「良い結果」が出ない。

数学ができると点数が大きいいだけに、正にメインの教科である。理系ではこれができないと、合格の道は閉ざされたままである。数学とは論理的な思考形成を育成するには最も適切な道具といえる。文理を問わず数学はできないと、文系の人も先々で困るはずである。

数学ができるには、計算力が基本、そして高校生になると、論理的な思考力が必要となる。「小学時代は天才で、中学時代は秀才で、高校時代はタダの人」と言われる人がいるが、この種の人は、高校1年、2年にかけて数学が苦手になる人である。中学までは、詰め込めばボロは出ないが、高校では詰め込み学習はできないのである。私は、高校数学は抽象的に考える頭が必要だと思っている。知らず知らずのうちに、算術頭から、論理思考ができる頭に変化していくのが理想である。自分なりに筋道立てた思考が必要になる。

公文算数塾という有名な計算鍛錬塾があるが、あそこで算術を鍛えても、必ずしも数学がうまくなるとは限らないと私は思う。むしろ、やりすぎると数学の抽象性、思考性との面白みにきづかず、いつまでも算術力に頼る勉強になる可能性がある。私の教え子にも「公文大好き人間」が数名いたが、彼らは高校生になっても公文に通塾していた。確かに、彼らの算術能力は凄いものがあったが、式を自分で組み立てなくてはいけない問題になると、コロッととけなくなったり、論証問題は苦手とする弱点を抱えていた。微分積分の面積、体積といった比較的単純な計算問題には強みをみせるが、空間ベクトル、確率と数列、種々の数列問題、整数問題となると、意外にできないから私も不思議に思ったことがる。数学を型にはめ込んで機械的に処理する訓練をすると、頭の働きが偏ってくるのだろう。この「偏る」という現象が行き過ぎると「適正な、バランス」をもつ頭の成長が阻害されるのではないかと、私は懸念するのである。私が教えた公文大好きで、そして数学も好きだと自認する生徒たちは、京大理学部(男子)、東大理供塀子)、防衛医科大(女子)と合格したから立派ではあると思う。

私は元来が恐ろしく数学ができるタイプでもない。それでもそこそこ教えてこれたのは、自己努力のおかげだと思う。日ごろから、粘り強く、しっかり考えるという思考回路をつくっていけば、大人になっても数学は解けるようになるのではないかと思う。ただ、数学は嫌いだとか、苦手だという感情が強い人は、冷静に解けないから得意にはなれないだろう。一人で、こつこつと楽しく解いていけば、得意になれると思う。私は生徒が説いた解法が間違っていることを証明する方法を考え出すまでに1週間考えたこともあった。数学をすれば、私的には、満足のドーパミンが生じて心地よい気分になるのである。今でも、暗算は計算機並みに速いが、最近確率問題を解くのが苦手になりつつあるのは、認めざるを得ない。樹形図を描くのが面倒臭くなったということだろうと、思う。このへんは、年のせいではないかと思う。ああでもない、こうでもないといろんな思考回路をめぐらしていく面白味は、年齢に関係なく数学にしか味わえないものではないだろうか。

数学は、文系理系を問わず非常に重要な科目である。大人になって、難しいことを考えるときには必ず無意識に三段論法をもちいるものだ。三段論法が身に付かない人は、短絡的な思考回路しかないから危うい行動をしてしまうだろう。AならばBである。BならばCである。よって、AならばCであるという三段論法は数学のみならず社会の中でいきる人間の根幹的な思考回路であろう。男女を問わず数学的思考はみにつけるべきではないかと、私は思う。

女性は数学嫌いな人が多いのは、不快なものはしたくないという、女性の持つ脳の指令が原因だろうか。しかし、最近は、女子生徒の医学部志望者の増加率は高くなっている。数学は嫌いだとか言えないのが現実である。女子が本気で数学に取り組むなならば、女性特有のやさしさ、たおやかさ、きれいなもの、心地よいものへの指向も抑えなくてはいけないだろうか。私の塾で女性であって国立医学部、東大理系へ入学できた生徒は合計6名。昨年、惜しくも九大医学部には失敗したが、鹿児島大学医学部に後期で合格した東明館のYさんは、附設の男子並みの能力をもっていたし、稀にみる秀逸な女子生徒だと私は思った。附設にいれば九大医学部には合格していたと思われる逸材だった。彼女のお母さんに「小さいころから幼児教育されましたか」とたずねたら「まったくしていません」と、返事が返ってきた。田舎で育ったそうで塾もないし、いわんや幼児教育なぞあるはずもない環境だったらしいのだ。飛んだり、跳ねたりして普通に遊ぶ女のこだったそうだ。

「そういう子供は持ち物がいいのだ」というのが一般的な見方になるだろうが、「もって生まれた才能は開花するとは限らない」。むしろ、成長を阻害するおそれさえある。まさに、高校生ではただの人になるのが多数であろう。Yさんのタイプは、意外と小さい頃は目立たずにいて、中学2年、高2年から加速度的に頭が成長するようだ。そしていつのまにか、トップレベルに行くようだ。親も気がついていないし、本人も自分の成長に気づいていない。しかし、私からみたら、「この子は頭がいいな」と見えるのである。頭のよいこはどこが違うかというと、教科書での基本の理解の早さと深さに際立つものがあり、そのあとに応用ができるところである。次に、解くときに細かい点に気が回るし、問題解答を理路整然とできるということだろう。どうして、それができるようになるのか、一番の関心事であろう。私も、成長していく頭を外側からみることはできても、内側からみることはできないから、思考回路の形成過程は分析することはできない。

今年九大医学部に合格した男子生徒は、久留米附設で1番を取るほどに伸びてくれた。中学1年から週に1度だけ英語、数学を3時間で教えたが、中学の頃は30番程度だったと聞いている。成績は徐々に上がり、高3になると、常にトップ3を占めていたらしい。お母さんも「こんなに良くなるとは思っていませんでした。確かに、真面目な子ではありますが、、、」と言われていた。パズル、将棋といったじっくり指向型の遊びが好きらしくて、バーチャルゲームには関心が薄いらしい。公文は通ったことはなくて、幼児教育は少し施したとのことである。彼の父親は医者であり、数学は得意だったそうだ。しかし、卒業された大学は私立医科大学とのことだから、多分数学だけはできていたタイプのお父さんだったのだろうか。


最近は、幼児教育が盛んであるが、果たしてどの程度の効果があるのか、怪しいというのが私的な見解である。野山を駆けずり回ったり、水遊びをしたり、体を全部使った遊びをするとか、ともかく体を小さい頃は動かすほうが神経は発達するはずである。幼児には教育といったカテゴリーが必要なのではなくて、体を使う遊びが必要ではないだろうか。積み木遊びで立体空間の認識が強くなるだろうけど、空間図形が解けることにはならない。後者は、紙と鉛筆で平面の上に描く立体図形、前者は正に立体の実物だから、次元が異なる。2次元と3次元の世界の違いは幼児にわかるはずもないし、積み木学習が高校生になって学ぶ平面上での空間図形の理解に寄与するこもないだろう。


面白い話がある、九大医学に附設から現役合格した一人の男子生徒は、姉さんがいつも横でお母さんに九九を言わされているのを聞いているうちに、3歳だった弟の彼もも九九を口でいえるようになったそうだ。本人が言うには、何度も何度も九九を言わせている、お母さんがとても怖く見えて、覚えてしまったという。彼は、結構のびやかに数学が解けるタイプの生徒で、自分流に解いていけるひとだった。幼児時代は伸びやかに育ったことがうかがえた。大学に合格したとき、「怖いお母さんとこれで離れることができるのが、とても嬉しかった」というのを聞いて、ともに笑ったお覚えがある。こちらは、小学1年から公文で鍛えられたと聞いている。早期の鍛錬が効果があった一例かもしれない。


人間は、体を動かしながら思考もする動物であることを、肝に銘じておかないと似非教育者に痛い目にあわされることにもなりかねない。解けないときは、頭をかいたり、指をうごかしたら、貧乏ゆすりをしたりするのが、人間らしいのである。お行儀が悪いとしかってはいけない。むやみにしかれば子供の頭には不快なホルモンがでて、勉強を嫌いになる。おだて過ぎてもいけない。子供はあまりおだてると「自分ができないことを認めたくないために」難しいものを考えなくなり、レベルの高いものへのチャレンジ精神が減退する。小さいい頃の天才が伸びきれない理由はこのへんにもあるのではないか。むしろ、「もっと頑張ると、いいね」と励ますほうが、子供は意欲をかきたてられるのである。この「ほめる、励ます」の使い分けが親にとっては難しいのである。早熟な子供をそだてるのはかえって難しいのである。小さい時に「物覚えが早いお喋り上手な」な子供は、えてして頭が良いといわれるが、案外、後で数学嫌いな子になる場合が多いのも、検証する価値があるだろうと思う。

以下の文章は、専門家がいろいろ分析をしているが、何か参考になるものがあるだろうから、よんもらいたいものである。ただ、解答はでないであろう。脳は怪しげで複雑なものだからである。





■問題を解くとき、脳の複数の箇所が稼働

 世の中には、幼くして方程式が解けたり、微分積分を理解できたりするスーパーキッズがいるという。一方で「数字を見るだけで頭が痛くなる」というような算数嫌いの子も存在する。算数ができる子とできない子は何が違うのだろう。そもそも生まれつき脳に差があるのだろうか。MRIによる脳画像分析のスペシャリストで「脳の学校」代表の加藤俊徳氏に、その違いを聞いてみた。

「算数ができるかできないかは、生まれつきの能力の差ではありません。訓練すれば誰でもできるようになるのです」と言う加藤氏。「うちの子は算数ができない」と嘆いている親にとっては朗報だが、ではいったいどこで差がつくのだろうか。
「ポイントは、脳の中に問題を解く回路ができているか、そしてそれが太いかどうかです」
 加藤氏はまず、算数や数学の問題を解く際に脳の中でどんなことが起こっているかを説明してくれた。

「算数の問題を解く際には、脳の複数の箇所を使います。脳には大きく分けて、前頭葉、後頭葉、頭頂葉、側頭葉がありますが、それぞれ、運動、視覚、聴覚、記憶など人間が生きていくうえでのさまざまな活動をつかさどっています。脳の中にも、いわゆる『役割』というものがあるのですが、現在の研究では、算数や数学のいろいろな問題を解くときに、脳のどの箇所を使っている、と特定はされていません」
 たとえば国語が得意なら、言語や感情をつかさどる部分、美術が得意なら視覚をつかさどる部分を主に使う、というようにある程度特定できるが、算数や数学の場合は、そうではないらしい。
「脳の損傷研究でわかっているのは、脳のどこが壊れても、ちょっとずつ算数や数学の能力が下がるということ。つまり、算数や数学の問題を解く際には、脳の複数の部分を同時に働かせていると考えられます」

 そこで加藤氏は、二つの脳の図を描いて説明してくれた。
「Aが、悩んでいるとき、Bが楽に解けるときの脳のイメージです。初めて問題が出されたとき、脳の中ではああでもない、こうでもないと思考がさまざまな箇所を巡って答えを導き出そうとします。これがAの脳」
 問題を解くためにはどの部分を使えばいいかまだ絞り切れていない状態です。
「一方で、楽に解けるときの脳では、脳のどの箇所をどの順番で使えばいいかが特定されています。そのルートが出来上がっているので、Bの図のようにスムーズに思考回路がつながって、解答が出せるのです」
 なるほど。これが先ほどの「問題を解く回路」というわけだ。


■何度も解くと簡単に解ける理由

「解けない問題が解けたとき、カチッと何かがはまったような感じがして、すっきりした経験があるでしょう。これが、回路がつながった瞬間なのです」
 一度解いた問題をもう一度解いたときに簡単に感じられたり、前より短時間で解けたりするのは、この回路が出来上がっているからなのだ。Bの脳では、脳に負担がかかっていないクールな状態。脳は無駄なエネルギーを使わなくて済むのである。一方で、Aでは脳の中で思考の試行錯誤が行われているので、かなりの興奮状態だ。
「問題が解けなくてどうしていいかわからない、頭の中がふわ〜っとなるような感じが、まさしくAの状態なのです」

 この回路を専門的に説明すると、神経細胞同士がネットワークを形成していくということ。約千億個以上の神経細胞がある脳は、細胞同士が集まって思考の中枢となっている神経細胞と、その神経をつなぐ連絡線維の二つで構成されている。脳が適切な刺激を与えられてさまざまな情報を吸収していくと、それまで未発達だった神経細胞と連絡線維は、樹木の枝が伸びるように他の細胞とつながっていく。使われることで回路は太くなり、より楽に問題を解けるようになる。

「必要な脳の箇所同士が連携して回路が太くなると、問題を解く際に二つのいいことが起こります」
 と加藤氏。ひとつは、「応用が利く」ことだという。
「ある問題を解く回路が確立できれば、それに類似した問題が出された際に、おおよそどこの箇所を使えばいいかが推測できます。基本の回路ができているので、そこからちょっとはずれるだけでいい。新しい問題に出合って、まったく知らない問題を解くときに試行錯誤するのとはわけが違います」


■パッと問題が解けるのは集中している証拠

 もうひとつが「集中力の向上」だ。
「回路がつながっていない頃や、つながりたての頃は、回路をつなぐパイプが細い状態。短時間で情報を運ぶことができないため、なかなか解答にたどり着けず、問題を解こうとする気持ちが散漫になりやすい。しかし回路を繰り返し使うことでパイプが太くなると、一気に多くの情報処理が可能になり、集中して問題を解くことができます」

 それではわが子もこの回路を強化していけば、スーパーキッズのようになれるのか。
 しかし、「この回路を強化するのが難しい」と加藤氏。それは、脳のある性質が関係している。
「脳は、ある回路を通って心地よいと感じたら、もう一度同じ回路を通ろうとします。でも、嫌だと思ったら二度と同じ道を通りたがらないんです」

 問題が解けるというような成功体験は脳にとって気持ちよいものであり、もう一度同じ道を通ろうとする。しかし、同じ「解ける」でも、その子のレベルに合っていないものを無理にやらせたり、お母さんから「この問題を解けるまで遊びに行っちゃダメよ!」なんて言われながら嫌々解いた場合には、たとえ解くことができても、脳にとっては苦い印象を与えてしまうのだ。
「誰かとご飯を食べて楽しかったら、また一緒に食べたいと思うでしょう。それと同じ法則が脳の回路にも当てはまるのです」

 脳の回路を強化するには、何度も同じルートを通ることが必要。そのルートを何度も通らせることができるかどうかが、優秀な子とそうでない子の分かれ目だというわけだ。子供が「楽しい」と思うような環境づくりをすることが、解ける回路をつくる第一歩かもしれない。
 算数や数学ができるようになる脳の仕組みがわかったところで、「回路をつくったり、強化する際にやってほしいことがある」と加藤氏。

次の記事は脳生理学の専門家の観点からかかれた記事ですが、総論としては当たっています。数学ができると、できないの差は進路を決定する重要なファクターだけでなく、人間の質的差異を決定するファクターだと思います。
最近では幼児教育も盛んなようですが、先行投資が果たして実を結ぶのか、先ででしか分からないですね。
30年以上子供たちの脳、人柄、人間性を見てきた私は、学者のような立派な総論は書けないですが、「練習に勝るものはない」英語で言えば、Pracice makes perfect.と一言でいうことができると思います。

私は日頃から、女性はどうして数学嫌いが多いのか?疑問に思ってきましたが、永遠の謎でおわりそうです。
女性は多分、数学をするときには集中できないのではないでしょうか。女性の脳は同時に心地よいことを考えたり、いやなことを次々連想するのは得意?ですが、無味乾燥な数学は集中できないのでしょう。




■頭の中だけで考えても答えが出ないなら……

「それは、手を使うことです」
 答えがわからないときは、脳のどこを使えばいいか迷っている状態。その際に、頭の中だけで考えるより、指を折って数えたり、図に描いたり、式に起こしたりすることが大事だという。
「解けないときには、思考が脳の同じ箇所だけをグルグルと回っていることもあります。そのときに手を動かせば、思考を違う箇所に動かすことができるのです」
 算数ができる子は、わかっていることをすべて書き込んだり、文章を図示化したりする。これは、脳にも刺激を与えているというわけだ。


■答えがどこで間違ったかを把握させよう

 最後に、算数で育まれる力について一言。
「人間は生まれると『周りの人はこうしている』とまず他人を認識し、その後だんだん『自分はどうなのか』と、自分を確かめるようになります。算数で一番育まれるのは、前頭葉で発達するこの自己認識能力だと思います」
 算数には必ず答えがある。問題を間違えた場合、自分がどこで誤ったかというプロセスを計算式の中で確認できる。それを認められる子は、どんどん成長していける。
「答えが間違ったという事実だけを意識する子は、それ以上先へ進めません」
 算数で間違いを把握する作業は、自己認識能力につながるものなのだ。
「親は、子供が算数の問題で間違えた際に、どこでどんな間違いをしたかを子供自身が把握しているかにも気を付けたいところです。問題が解ける、解けないで一喜一憂することよりも、この問題を通して、子供の自己認識能力が成長しているんだ、と考えてみてはいかがでしょうか」


-----------------------------------------------------

加藤俊徳●Toshinori Kato
JUGEMテーマ:育児


  • Yahoo!ブックマーク
- | -

高校が潰れる

教育 2012.01.03 Tuesday msophia

ゆとり世代真っ盛りの昨今、受験生のレベル低下が指摘され続けている。毎年低下する学習力をもった学生と対峙する、大学教員、予備校講師は誠にしんどい仕事を負わされている。

ゆとり世代はどこが低いかというと、勉強全体に関して経験の幅が狭いために、思考回路が少ない。思考回路が少ないと自立精神が弱くなり、他者への依存が強まる。学習の成否は学んだ事実をどれほど自分でフィードバックできるかに左右されるから、自己精神または自己意識が弱いと自ずとフィードバックのモチベイションも弱まり、学習事実をを自己特有のものとすることができない。学習が身に付かないことになる。

小学、中学時代は自動的に理解できる程度のことを学習させられから、普通の知能を持つ子供はそれほど勉強せずとも理解できるはずである。そういう当たり前のことができない子供が多くなっている。文字を使った分数計算ができない中3生がいると、教え子に聞いたが、そういう子供はクラスに昔から2、3名はいたわけである。ただし、現在は、その手の子供の数が増加している、ここが実にまずいことである。

文字分数式は抽象的でピンとこないのだろう。しかし、私達は中1で学習していたはずだし、何年生で習ったかも覚えていない。それほど、楽に学習したんだろう。今も中1で習うが、学習レベルが実に低い。できる子供はあほらしくてやってられないはずだ。しかし、花からできない子供は、練習も問題が少ないから、余計にわからない。できない子供ほど沢山練習をすべきだが、ゆとり教育の教科書は実に薄ペッらである。

できない子供の家庭は生活レベルが低くなると、学習の低下に拍車がかかる。昔は戦後の平等教育という神風が吹いていたから、家庭の差は学習の差に通じなかった。ゆとり教育、塾、予備校というビジネス教育の併存を公認し始めたことが、子供の学習レベルの低下を招くことになったのである。いまや、経済的に余裕がある家庭では公立中学なぞにはやれたものではないという風潮がある(教育大学付属中学は別であるが)。公立中学ではできる子供はオール5になりかねないレベルまで落ち込んでいる。

こういう状況だから、進学競争に強い中高一貫教育校に子供合格させれば、まずは「勝ち組」と安堵するのも納得できる。しかしながら、促成栽培と同じく、栄養、光を与え、風に当てずに育て上げる、今の中高一貫校の教育方針は、果たしてどれほど子供達本人のためになるのだろうか。将来の調査を待つしかない。

少子化のために、私立高校は生徒獲得にあれこれ知恵を絞っているようだが、子供の絶対数の減少にはいかなる対策も有効とはなりえない。私立高校自体が早期に定員数を削減しないと、学校全体のレベル低下を招く。生徒を減少させた後に月謝を上げれば生徒も減少するだろう。公立、私立ともにいがみ合わずに絶対数減少に取り組むべきである。福岡県は公立高校が多すぎるのは自明の理であるから、公立高校減少削減案を県または県議会は提案すべきであるが、何もする気がない県、県議団である。数年後にはとり得なき私立学校、公立底辺校の中には生徒数を確保できないようになる。県は潰れる学校法人の財産没収を楽しげに待っているのであろうか。
  • Yahoo!ブックマーク
- | -

将来の日本の教育はどうなるか?

教育 2011.12.03 Saturday msophia

12月にはいったとはいえ、相も変わらず不安定な天気が続く。世の中は不景気と言われるが、どこでも不景気というわけではない。今日の午後は福岡の天神まで所要で出かけていき、昼食を大丸デパート内の店でしようと思いレストランコーナーへ行ってみたら、随分と人が多かった。デパートを歩くにも人とぶつかるくらいだったから相当の混雑だった。食事をする店では更に外で待たされたし、不景気とは無縁だなと思った。久しぶりに出てきた天神だから、ついでに三越デパートを除いたら、客は本当に少なくて、大丸デパートの1割もいただだろうか。三越不振を目の当たりにした。三越は老舗のデパートだったし、東京でも上客がついていたのだが、後塵を拝した伊勢丹に合併され三越の社員は給料で憂き目をみているとか。天神三越の不人気ぶりで納得してしまった。

受験界も12月になって、センター試験への追い込みをかける受験生のバックアップにも力が入る頃である。公立高校の一部では3年生になったときから、継続してセンター対策の授業をするらしいが、一年中するほどのものではないだろう。最近のセンター試験は分量が増加しているから、内容についての対策と平行して、解答のスピードをつける練習はかなり大切ではないだろうか。視覚的な反応の速さをを鍛えることが肝心である。今の子供達は、小さい頃からゲーム機で遊ぶせいで、平等に反応の速さは養成されているように思われるが、そうではない。

視覚反応から解答を出す判断の速さを担当するのが、シナプスや視床下部だそうだが、私が知る限りであるが、幼児教育を受けて訓練された子供は、一般的に、そういう訓練を受けたことのない子供より、速い処理能力を持っていると思う。イギリスの裕福な家庭の子供の幼児教育は伝統があり、実績もあるそうだが、日本での幼児教育もここ30年くらいで定着してきたのだろう。私のような貧乏世代は「精神力、体力、思考力、創造力」は、時間をかけて徐々に伸びてくるものだと考えがちだったが、この考え方は改めなくてはいけないようだ。

ピアニスト、バイオリニストと同じく早期に手を入れてきちんとした教育をすれば、特に、「才能を元来持っている子供」は、かなり早く優位に立つのは間違いないと思う。ここで言う、「元来才能を持っている子供」の内容が、私にはまだ確信を持てないところがあるから、具体的なことは言えない。早期教育はよく言われる、「ハングリーでないと人間は努力しない」という考えとは、対極にあるが、私の知る限りでは幼児教育を受けた一部の子供の進学競争での成功率はかなり高い。東大、医学部へと進学している子供の幼児教育体験率は調査する価値がある

早期教育の経験は私にはないが、早期教育を施した子供がどのような成長過程を経ていくのか見てみたい気持ちはある。日本では母親の熱意に裏付けられたものであるだけに、母親へのプレッシャーは大きい。イギリスではその役割を請け負う人材が豊富であるから、イギリスの母親に負担はないらしい。日本では戦後、平等教育を推進し、多数の中間層を育成してきたし、この層が日本の豊かさを担ってきた。現在この層が、様々な要因でが崩壊しつつあるから、政府は早急に中間層の育成に力を入れなくてはいけないと、痛感しているが、簡単ではなかろう。30年に亘り、教育のレベルを徐々に低下させて、競争をさせない方向性を持った平等教育を推進してきた文部省は、教育審議会は中間層の果たす役目が理解できていなかったのであろうか。崩壊した大衆教育を元に戻すには20〜30年かかるだろう。その間に、幼児教育を子供に施せる家庭の子供達がエリートとなり、既成勢力を作り上げているかもしれない。そして、身分がすっかり固定して階層の流動化が除去されているかもしれない。エリートはいつまでもその地位を維持でき、そうでない人がエリートになることはできないような、イギリス、フランス型の国になっているかもしれない。
JUGEMテーマ:日記・一般


  • Yahoo!ブックマーク
- | -

遅まきの人よ、慌てずに、頑張れ

教育 2011.09.18 Sunday msophia

ここ数年の現象であるが、私のかかわる受験界では大学の既卒者および中退者が医学部を再度受験する傾向が見られる。大手予備校ではこのての学生が更に多くなっているのではないか。動機としては、就職活動をし始めて技術がない文科系学部の学生が将来への不安を現実に抱くことがある。

しかし、文科系学部卒の学生が医学部へ入学できるためには、まさに「克己心をもち、不屈の精神」がないといけないだろう。この文科系系統の学生を私の塾では昨年度2名合格し、今年も1名合格する見込みが高い。私の塾では、私は数学と英語を指導しているが、理系の数学に文系の学生を馴染ませていくのは容易ではない。文系も理系も頭を使うのは同じだが、文系の学生は「感情が先に出てしまって、粘れない」という面がある。私は問題を解かせて後に解答を教えるパターンをとるから、必ず辛抱が必要である。問題を解いている最中に「ああ、疲れる」とか、感情的な言葉を口に出す生徒は、私は文系系統と見ている。

こういう生徒には、私はただただひたすらに黙って問題を解かせることにしている。1年で目途がたち、2年目で合格させることができる。この手の生徒は目的意識が高いから、今更進路に関してぐらつく暇もないので、却って合格させやすいと思う。彼らは追い詰められて進路を変えてくるのだから、かなりの切迫感があると思う。それだけに、手綱を緩めて適当にペースを変えてやる必要がある。合格した時に分かち合える喜びは普通の生徒たちの数倍になると思う。

誰しもがこういった進路変更で上手くいくことはない、むしろ確率はかなり低いはずだ。それでもこの傾向が強くなっているのは、日本社会の将来への不安感が増大してきているからだろう。受験事情は日本の未来を先取りしてその特徴を示しているのである。

20年くらい前には私立大学でも国立大学でも、文系、理系を問わず「お気楽に進学」するのが一般であったとおもう。経済的に国内の不景気が続く現在では、職に就ける学科を選ぶのが最優先されている。先のことはあまり深刻に考えないで進学するのは、まさに「考えられない」ことになってしまった。

ここまで大学進路と食、職を絡めて考える傾向が強くなると、無駄な時間をたくさん費やして考え事をするといった、若者に特有の特権を彼らは放棄して、いつも現実と対面して生きることになる。まさに、息苦しい限りの現実的生活を送るのである。想像力を働かせて空想する楽しみを追い求めて、現実逃避するような面白みも体験する余裕もなくなるだろう。人間はそれほど強くはないのだから、ゆっくりと頭を休めることも必要である。現実ばかりに追われると、精神が参ってしまうのではないかと思うのは、私だけではないだろう。

学者、画家、音楽家、作家などになるには、時間をたっぷり使って、急がず、慌てず、じっくりと、自己創造をするのであるが、自己創造は彼らだけの特権ではない。私達のようなごく普通の人でもそれをしない限りは成長がないし、自己認識も弱い人間になるだろう。なんでも早く決まっていけば、スイスイと人生がうまくいくと思ったら大間違いである。方向変換して苦労して医学部へ合格する生徒は歳をとってしまったが、現役で九大医学部へ入る生徒が経験できないことをしているから、その苦労が社会へ出たときに生かされるはずだ。遅まきの人ほど、辛酸をなめているから人間味がぐんと増す可能性は大きい。私は、人生は苦しい時にゆっくりしたいならそうすればよいだろうという、考えを持つだけに、遅まきの人には応援したくなる。

余談だが、アメリカでは医学部に進学するのには、まずどこかの大学卒生であることが条件である。文系、理系を問わず学生を受け入れている。面接を重視するし、レポート提出も課される。人間性のチェックが細かいらしい。お金を早く得たいなら薬剤師になるのが良いそうだ。薬剤師の所得は医者を超えるのが普通であるとか。薬剤師は技術屋であるから、評価が高いそうだ。日本では両者の扱い、待遇がアメリカとはあべこべになっているのが実に面白い。
受験エリート主義を標榜する文部省にはアメリカの方式を採用する気は毛頭ないだろう。

  • Yahoo!ブックマーク
- | -

学歴の有効度はどの程度あるのか。

教育 2011.07.09 Saturday msophia

ずっと考えていることだが学歴はどの程度有効なんだろうか。私は慶応卒だが自分ではたいした有効度はないと思うが、恩恵に浴しているのだろうか?会社勤めをしていたならばもっと有効度を実感できたのだろうか?慶応卒は会社勤めをしている人がほとんどであるが、慶應の知人が30名くらいのうちで重役まで出世した人は数名である。10分の一程度じゃないだろうか。本社の部長級も少ないし、バブル崩壊の後で関連会社に出されリストラ食らった人が多い、しかし無職にはなっていない。バブル崩壊がなかったらほとんどが本社部長クラスまでいけたのだろうか。私は会社務めをしたことがないからよく分からない。信託銀行と損害保険会社に就職した知人が最悪だった。会社がなくなってしまったから退職金積み増しで辞めている人がいる。ただ退職金は高かったらしい。一流デパートに行った連中も三越みたいに、伊勢丹に吸収されて給料大幅カットされている。石油、化学、建設も良くなかったようだ。それでも無職にはなっていないからマシなのだろうか。東大卒の人はどうなんだろうか?


私の知人は灘、東大文機∋囲其箙圓離魁璽垢凌佑いるが現況は分からなくなってしまった。三菱銀行に吸収されて後に三和系がリストラを食らったのか。東大経済、興行銀行、みずほ銀行のコースの人がいるがバブル崩壊後にもみずほ銀行に勤めていたが無事に退職した。しかし、本社重役にはなれなかった。理気妨縮鮃膤覆涼凌佑錬械虻仟紊撚饉劼鮗め自宅に帰ってしまった。身体を悪くしたのではないだろうか。明善高校は私の時代には東大に多くて10名くらい合格していたが、私が知る限り社長になった人はいないと思う。


東大卒が会社に入ると周りが気を使ってくれて出世させてくれるそうである。ズバリ言うと周りが出世させてあげようという人柄でないとまずいといいうことだ。慶応はそこまで気を使ってもらえないが、流石に東大卒は違うなと思う。ただし、頭が良くて人柄が良くないといけないから、楽ではないようだ。

早稲田OBは在野精神が旺盛で向上心も大いにあるらしいが、早稲田はグループを作りやすくて会社でも早稲田風をふかしすぎるそうだ。高校の同級生は20名以上は早稲田OBがいるが、大会社で出世した人はいないと思う。大隈重信の言う在野精神とは何かよくわからないが、ペンをとりマスコミで活躍の場を求める人が多いのだろうか。政治好きが多いのは確かである、特に文学部卒のOBはそうではないだろうか。慶応の文学部は女子ばかりで政治に無縁のお嬢様ばかりだったが。


東大卒で官僚になるのが一番よいのだろうか。リストラはないし、周りは気を使ってくれて出世できるし、官舎があるし、一番間違いないか。ただし、同期の人が政務次官になったら50歳の初めでも官庁勤めはできなくなるから、厳しい。公務員で理系の人はかなり早く外にでていく人がいる。外郭団体という隠れ公務員として勤務する。ここいらで出世競争から離れていても食べてはいけるから国家公務員は恵まれている。


東電の清水社長は慶応経済学部出身である。東大卒が圧倒している東電でよくも社長になれたのであるが、結果てきには運が悪かったといべきか。あのクラスの社長となると周りが気を使い出世してきたのだから、細かいことは分からないし、いざというときの決断力はないだろう。九電の偽メール事件の社長記者会見で、あの社長はしどろもどろした回答しかできなかったが、あの程度のレベルで社長になったのである。人柄が良かったのだろうし、学歴も良かったのだろうが、とっさのことには対応できないことが露呈された。

私の大学の親友は大会社の社長になれるチャンスを自ら放棄して副社長で辞職し、現在は会社から離れて自分の専門知識を教える学校の講師をしている人がいる。会社を辞めた理由は「土下座までしたくないからね」と言っていた。そういえば、いまどきの社長はテレビの前でさらし者にされ、若造のマスコミ記者にぼろかすに言われて、頭を下げさせられることが、いかに多いことか。エリートコースを進んできた人にとってあれほどの侮辱はなかろう。記者はここぞとばかりに社長を締め上げるし、視聴者は大岡裁きを見ているかのような感覚に陥るのである。土下座まではしなくても頭をテレビに向かって下げる社長にとっては偉くなって損をしたようなもである。


学歴の有効度は慶応卒と明善校卒をまとめて比較すると、慶応卒のほうが出世しているのは間違いない。明善卒は二代目社長が数名いるが、3名は会社を閉じた人がいる。親戚筋に東大卒で野球部卒の人がいるが身体が大きくて、ヤクザみたいにパンチパーマをして、銀行員という代わりダネがいる。電車の中で居合わせたヤクザが騒いでいたのを怒鳴って黙らせた体育会系実力者。総会屋担当でもなく普通に大銀行勤めをしている。東大卒も理系と文系はかなり違うだろう。折角就職した会社が東電のようになったら、会社員は途方にくれてしまうだろう。日立、三菱は東大卒のテクノロジストが多いが、仕事がなくてぶらぶらしている人が多いそうだ。大企業に就職すると小さい会社に行くなんて考えられないのだろうし、理系の人は自ら会社を立ち上げて事業者となる気持ちが弱いのだろう。事業を自らするよりは決まった給料を毎月貰える立場のほうが、楽なんだろう。


現代は大会社でもいつ危機的な状況になるか分からない時代であるから、学歴の有効度はあるだろうが、いつまでもそれで食えると思い込むのは間違いだろう。私の知人に面白いことを言う人がいる。「大学に入るまでは真面目な人が勝つが、社会にでればカンニングもなんでもしてよいのだから、真面目に受験勉強した連中は応用力がないし、頭が悪い」と。更に私が補充すると、受験勉強ができすぎた人は自分が頭がよいと勘違いをしてしまう、恐れがあるということか。受験勉強のレベルで頭が良いとうぬぼれてはいけない。管首相が「自分は東工大応用原子物理学をでているから、原発のことはよく分る」といったそうだが、たかが4年の学部卒生には応用物理学は分るような代物ではない。応用物理学が分っても、原子力の運用は別物である。
ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は本当に頭が良かったとは、今も原子物理学者の間では語り草となっているそうだ。応用原子物理学に最も優秀な人材がいるはずの京大派閥がこんどの原子力事故に関して表向き何も言わないのは、誠に不思議である。

  • Yahoo!ブックマーク
- | -




qrcode