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熱血指導は神の領域

- 2018.01.20 Saturday msophia

あの闘将といわれた星野監督が死亡した。私が慶応へ進学した当時彼は明治大学のエースだった。マウンドでは一球なげるたびに大きな声を発していたー「この野郎」と大声を出していたのを記憶している。明治の当時の監督は島岡さん。元明治の応援団長だったそうで、野球は素人のはずだが、なぜか監督だった。明治根性野球の典型を私は目撃したのだ。当時は、法政に田淵、山本、富田の三羽烏、早稲田には谷沢、荒川といったすごい選手がいたのだから。学校で授業を受けるよりは彼らのプレイをみるほうがよほど楽しかった。大学は大学闘争で荒れてしまい私も勉強などする気にもなれず、神宮球場がリフレシュの場所だった。神宮で目撃した元気いっぱいだったスター星野監督がまさか死んでしまうなんて思いもしなかった。死因はすい臓がんと公表されていたから、明治大学の野球部は入部したばかりの星野選手に一気飲みを強要して、そのあげく急性アルコール中毒にしていたのではなかろうかと穿ったみかたをもしてしまう。そして膵臓を若くして痛めてしまったのがすい臓がんの遠因となったのではないか。膵臓は物言わぬサイレント臓器だから、発病の有無は掴みにくい。一度発病すれば回復はおぼつかない。誠に惜しい人が野球界から消えてなくなり、元野球小僧の小生は心から哀惜の辞を述べさせていただく。

星野監督によると、恩師島岡さんは右翼思想の持ち主であったという。安保反対の学生運動が盛んな頃、島岡と星野は一緒に車に乗っていたが、ピケを張りデモに参加している学生を見て、島岡は当時主将だった星野に「おい星野、あの連中は赤か?」と聞いた。星野が「そのようですね」と返事すると、島岡は「連中をぶっとばしてこい」と命じた。星野は見ず知らず、しかもこちらに対して悪意のない連中を殴るのはと内心ためらったものの、「御大の命令とあらば、たとえ火の中、水の中」とばかりに殴りかかったという(『星野仙一のすばらしき野球野郎』1983/7 日刊スポーツ出版社 ISBN 4-8172-0066-9)。 星野投手が大学の初登板で負けたときには明大の野球練習場のマウンドでパンツ一枚の恰好で島岡監督に一晩中正座をさせられたという。しかも朝方ふと気付くと監督も暗闇の中で正座をしていたと星野さんは述懐していた。熱血指導を超えた神がかり的島岡監督の指導が、星野監督の根源だったのだ。慶應野球部ではここまで凄まじい話はきかない。私の後輩になる山下大輔が大洋に入団して、無失策連続日本記録を打ち立てたスター選手だった。入部した彼へのしごきはノーグラブで何百本のノックを受けさせることだった。手は血だらけで皮もはげてしまったらしい。それが根源となってスター山下が生まれた。彼は一年せいの秋だったとおもうがピンチヒッターで始めて出場するやホームランをかっ飛ばして見せた。エクサイテイングな山下のあの一打は未だに私の網膜に鮮明に残っている。精進なくしては成果は得られないのは何事も同じである。天才と言われる人ほど隠れたところで努力をしているのだ。そういった素晴らしい才能を開花させるのは熱血指導だと私は思う。私も年はとったが熱血は忘れないつもりでいる。それを忘れたら本当に引退しなくてはいけなくなるだろう。この冬も朝の10時から10日間連続で生徒の勉学指導をしたが生徒も毎日頑張ってくるから、こちらも頑張るわけだ。互いの努力がないと熱血指導は結実しない。
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