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公立中学の内包する問題

教育 2016.04.28 Thursday msophia

東京では公立高校の進学成績の低下による衰退はす40年は続いているのではないだろうか。最近は指定校のみは都が復活させようと努力をしているようではある。一方福岡県では公立校は相変わらず進学率が良い学校が6校ある。北九州に2つ、福岡地区に3つ、筑後地区に1つである。今日のテーマの対象はそういった旧名門校ではない。筑後地区でいえば伝習館、八女、三池である。サンデー毎日によると3つの高校の大学合格者数は質的に急激な低下傾向を示しているることが分かる。3つとも旧制中学校であった。それぞれが伝統をもつ学校であり、文武両道を旨としていたともう。伝習館の偏差値は62、推薦合格者は70パーセントとれば合格とあるが、数値は少子化とともに甘くなる事実を踏まえて考えると、それほどレベルは高くない学校といえる。九州大学の合格者数が20名いたのはずいぶん昔だったとおもう。同じ柳川市内には柳川高校があり、佐賀市には弘学館があるから、生徒獲得のせめぎあいも厳しいのではないか。柳川高校は一昔前はテニスと野球の名門校で、進学とは縁がなかったが、最近は進学クラスを設置したし、野球名門校の名前も捨てたようだ。私も昨年予備校で教えた生徒の一人が柳川出身で久留米医学部に入学した。柳川から医学部合格者が出るのは一昔まえではありえないことだった。中学受験で弘学館あたりにいき損ねた人が伝習館へいかなかったのだろう。
最近の如実な傾向は中間層の生徒が中学校進学で私立中学へ消えてしまう学生が多いことだ。筑後地区では八女学院、大牟田が生徒をかなり獲得している。特に大牟田は今や駅伝の名門にとどまらず、中学校を作り、医学部進学者を獲得して、実績も出始めている。昨年度は防衛医科大と慶応医学部に入学するような生徒もでている。私の塾に3年間来た大牟田の生徒は久留米医学部に一浪で合格した。弘学館、青雲、附設へ行かずとも医学部でも合格できることがはっきりしているのである。大牟田は三池を、八女学院は八女校を抑えてしまったようだ。二つの公立校の進学率は悲惨である。このままでは定員も満たせなくなる恐れがあるだろう。
中間層が中学進学の段階で私立中学に進学する理由は何だろうか?公立中学が避けられる理由は何だろうか?少子化とともに中学校での指導もやりやすくなったはずだが、公立中学は避けられるのである。易しいレベルしか教えない授業、形式的な平等の押しつけ、上辺だけまとめていこうとする学校の運営、部活中心の学校運営、イジメの発生率の高さ、生徒の家庭環境の差異など、数多いものがある。こういった問題を抱える公立中学が嫌厭されてるのは間違いない。福岡では城南高校が進学率が低下しているのは、大濠、西南、佐賀早稲田の存在が大きい。
公立高校は進学を旨とするわけでもないから進学率が低下して学校が倒産することもないが、安い学費でなるべく良いう教育を施す役目は果たすべきではなかろうか。それこそ公立高校の重要な機能だろう。公立中学も然り。このコストパーフォーマンスの高さが公立学校のメリットであろう。家庭環境がよくない生徒が一向に上へ行くチャンスを与えられなくなる社会はよろしくない。イギリス、フランスなどがいい例である。差別が差別を生み社会の硬直化を招くこととなる。
公立高校の先生は,難度の高い採用試験に合格してその挙句が分数も解けないレベルの低い生徒に授業をするという
矛盾に苦労する。そしてそういった現実に嫌気を感じた先生は辞職して、私立の教師のポストを得たり、大学の研究者のポストを得たりする。一方私立の高校の先生は公立の採用試験には不合格の人が多かったはずだが、そういった先生が努力して進学実績を上げるのだから、コストパーフォーマンスがよろしくないと思う。
今の公立高等学校の衰退の原因は中学校にあるようだから中学校のあり方に大ナタをふるうべきだろう。戦争に負けて学校制度までアメリカに変えられた日本は、6、3、3制という教育制度を始めたのだが、それが良かったのか?それとも公教育の本質を再考するべき時がきたのか?私立教育を中心として教育制度を再構築するのがよいか?このまま中途半パンパな公立教育を続けていけば、税金が無駄に使われることになるし、人材の活用も生かされない。日本は今、問題を数多く抱えるが、教育を最優先事項の一つとして政府はとらえるべきである。安倍首相は日教組が嫌いだろうけれど、現場の人たちと協力もしなくてはいけないだろう。戦後培われてきた教育界は安倍首相でも手を出せないほどのものなんだろうか。
一例をあげると、福岡教育大学付属では今も尚、君が代は歌わない、歌わせないという。国立の教育機関教育大学が君が代を国歌だと認容しないでいるし、それに対して市の教育委員会は口も出さない、文科省も手が出せない。右翼的な政治家もこの慣行を黙認したまま、一般人にはわけがわからない。それなのに親は教育大学付属へ行かせたがる。陰湿ないじめがないしレベルが高い子供集まるからだ。一方付属の教師は受験と無縁の教育を自由に気ままに施し、その後は県教育課界の管理職となっていく。生徒は塾へ通って附設を目指す。授業は気休め的なものでいいわけだ。税金の無駄遣いだと私は思う。バラバラな思いを持った人たちが作ってきたのが戦後の教育か。
JUGEMテーマ:学問・学校


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