<< 粘り強い学習を身につけさせたいが | main | 露見した朝日のでたらめ >>

悪ガキに開き直られる公立中学教師

教育 2014.08.02 Saturday msophia

2日前のNHKにテレビ報道で見た番組で、公立中学教師が悪ガキの連中が挑発的な高度をられて、指導力の限界を感じ
ているとのことであった。授業中に校門を飛び越えて逃げ出す悪ガキを、逃げないように悪ガキの体に手をかけて引
き戻すと「体罰!体罰だ!」と悪ガキがわめき、その言葉に教師はひるみ、悪ガキにしたい放題のことをされて、泣
き寝入りしているとのことだ。

大阪大宮高校での部活顧問の体罰による生徒の自殺がもとで、生徒に手をかけることさえできなくなったということだ。大宮高校での自殺事件は公立なのにバスケットではスポーツ特待生度を使い選手を集めることによって、名門校になって、勝利至上主義に凝り固まり、そのあげくは有名監督に成り上がった個人の問題行動である。

悪ガキの校門を超えての逃亡を阻止することは話が違うと思う。先生たがは悪ガキを指導するのは当たり前のことだし、手をかけて門から引きずりおろしても、「暴力」を振るった認識はないはずである。しかし、悪ガキが「体バツだ!」とわめき散らせば、先生がひるんでしまうのはどうしてか。

NHKKのあの東大出身のキャスターはいつも波風がたたないような、よくわけもわからない、ごまかしのコメントを出
す名人であるが、あの日も「体罰はいけません」とはっきり述べていた。大宮の問題と使徒の指導問題とはちがうのだから、それは体罰とは言えないと、なぜ言い切らないのか、まったく不可解であった。やっぱり、NHK受信料はしはらいたくないという感情がふつふつと湧き上がる。

私自身中学生時代は極めて精神構造が荒れてしまい、自分で抑えがたい感情にぶりまわされた思い出がある。先生に
ひっぱたかられたこともあったし、かなりな問題行動をしたこともあった。今振り返ると、なぜあそこまで荒れたの
か自分でもわからない。自己主張を、間違って発露していたのである。まずは、自分を他人に認めさせたい気持ちが
強いから、その気持ちに自分がぶりまわされる。中学生3年となると、図体が急に大きくなり、他人に認められ、目
立ちたい一心から、暴力的になるのがいる。

校門から逃げ出す悪ガキも「自分が一番他人がやれないことをやれるところをほかの生徒に見せたい」一心でやって
いるのだろうが、こういう悪ガキは怒るべきタイミングをはずすと、できそこないかねない。私の中学時代にも3年
になって、突如として派手な悪さを始めたものがいたが、悪さが高じて、あげくの果ては、他校に殴り込みをやらか
していた。中学3年時代はそれまではあまり目立たない生徒が突如として荒れ始める年頃である。2年まで悪ガキだ
った連中はそのまま変わらずにいくか、むしろ大人しくなるのもいる。

ともかく悪ガキになった生徒を校門からでていかないように指導するのに手をかけて、悪いところは何もない。NHKの
大越キャスターは問題の認識が間違っている。生徒に常識を教えて何が悪いのだろうか。

その時のさらなる報道内容でびっくり!したのが、ある中学校では悪いことをした生徒に、先生が悪い点をみつけたら、反則切符を切る学校があるということだった。結構面白い試みではある。反則切符を切った時点で、生徒とコミュニケイションができるからである。確かに、大人しげなせいとならば、言葉を交わせば「先生に認めてもらった」という効果がでるだろう。

しかし、真の悪ガキは切符くらいでは満足しないはずである。彼らは「もっと過激に熱いコミュニケイションを求め
る」のである。しかも、本人はそういった問題行動をする自分を理解できていないし、自分でコントロールできない。いわば悪ガキが悲鳴を上げているようなものである。それが先生や同級生への暴力行為などとして現れるのであ
ろう。熱血先生でないとこの種の生徒は指導できないと思う。私の中学時代の先生は、生徒をひぱったきながら、先
生自身が涙することがあった。先生は手が出るのは早かったが、情も深かった。あういう先生のおかげで悪ガキがま
ともな人間に育つのである。熱血には、熱血をもってしかこたえることはできないのでないだろうか。悪ガキには卒業時によくなぐった先生に果たし状をつきつけたものもいた。先生に負けたら、すっきりしたそうだ。

私が住む久留米市諏訪中学校は、熱血先生が引退されたら、すっかり校風がわるくなったそうだ。たった一人の先生
が悪ガキ一切を引き受けるのは無理な話だ。「校長!あんた何やっているんだい」と言いたい。問題があるときにだ
けあたりさわりのない釈明が上手な人が校長になる今の教育制度は間違いである。校長も型破りの、大物がでていい
のではないだろうか。ペーパーテストなどをして校長任官を決める今のやり方を変えるべきである。お話し、釈明、
頭の下げ方、管理行為が上手な人を校長にするのは間違いである。

さらにはそういう手順を踏むのが上手なだけの人が最後の登竜門と狙いをつける、教育委員会は解体すべきである。
実は、教育委員会ほど厄介で物事がすんなりと通らない機関はない。安倍首相が教育委員会解体を主張するのも、こういった無責任者の集まる欠陥機関が有害機関となって、公的教育の健全化を阻害しているとの認識があるからだろう。私の知り合いの弁護士は久留米教育委員会委員に選任された後の4年間は、教育委員の会議にほとんど出席することもなく、委員としての手当てを受領していたとか。でたらめもいい加減にしてほしい。

私立学校は教育委員会の支配下には直接ないから、学校の先生が少々の体罰を課そうと、問題になっていない。私の
塾生の一人で私立校に通う生徒が、「先生が生徒を殴った時に、殴られ戸と痛いから、教壇から教室の一番後ろに生徒が下がっていったら。先生は殴り続けたんです。怖かった」と言ったことがある。そういう殴り方は見ている生徒全員の反発を招く傾向が強い。こういったこともクラスのまとまりがなくなり教師にとってはまた厄介な問題でる。暴力は、振るわれた人だけでなく、振るった人にもトラウマを及ぼすから、必要以上の体罰は避けるべきである。

すごむだけで、おっかない!と生徒に思わせるような先生が実は一番優しいひとだったりもする。この手の先生は手
を出さないでうまくクラスをまとめ上げることができる。こういう先生が昔は学校に数名いてくれたのだが。今は優しげな先生が多数を占めるのであろうか。さらに、公立では女性教師が半数を占めるだろうから悪ガキ退治はうまくいかないだろう。

教育評論家・尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易ではないか。学校の自殺行為でとんでもない話だ。背景には教諭の力量不足があり、他生徒への『見せしめ』の意味もあるのだろう。心の琴線に触れるような指導をせずに、生徒が更生するとは思えない」と厳しく批判している。

私の知り合いである元高校教諭は新任として教鞭をとった直方市の農業高校において、生徒を指導すると仕返しをされるのはよくあることだった。ある時は、体がでかい連中に廊下で取り囲まれてすごまれたし、また、ある時生徒に厳しい指導をしたら、校庭にとめていた彼の車のドア下部分をぼこぼこに蹴られて、ドアは4枚とも入れ替えなくてはいけなかった。心の琴線に触れる指導とは一体何だろう?新任教諭にそんな芸当ができるだろうか?ベテラン先生ならばできるかもしれない。教育評論家は暴力にさらされずに、理想論を言えるが、先生達は負傷させられてもじっと耐える必要があるのか?まさに、憲法九条の平和主義で国を守ることができるのかという議論と同じく、先生はわが身も守れないのかということになりかねない。これでは先生のなり手がなくなるだろう。





JUGEMテーマ:日記・一般


  • Yahoo!ブックマーク
- | -




qrcode