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カメラの前で謝る慣習はいつから始まったのか

社会一般 2014.07.10 Thursday msophia

はるかかなたの海上にある台風の進路はいまだ決定もしない2日も前から、休校としてしまう昨今の教育機関は異様

である。結局のところ台風の勢力は弱まり、たとえ上陸しても福岡県に大きな被害がないようであるが、休校は既定

の事実としてすますのだろうか。

今日の夕方食事をした食堂のおかみさんも私と同じ意見だった。彼女が言うには「先生達がやすみたいんですよ。」

先生達も雑事が多くて勉強指導だけしておけば済むわけではないらしい昨今の教育事情からすると、恵みの台風なの

かもしれない。子供にも少しは大風の威力を体験させておくのも有意義なことだろうが、今の教育行政は、事故でも

発生した際の責任追及への恐怖感と嫌悪感がすさまじく焼き付らけれているようだ。

教育行政のこういった石橋をたたいて渡るがごとき対応の元凶は、マスコミの吊し上げに対する恐怖感が根強いのか


日本のマスコミは自分だけ言いたい放題の立場にあることをいいことに、テレビカメラの前でかなりの年齢の人た

ちが若い記者の前で頭を下げさせるあのお詫びのシーンはいつから慣例化したのだろうか。お詫びと称して、記者に

むかって頭を下げれば、記者は実に痛快であろう。時には土下座までもする人たちがいるが、やりすぎではないだろ

うか。私の同窓生がある公立病院の副院長をしていたとき、「自分の仕事は病院で失態がある際のお詫び担当です」

と、笑って言っていたが、学校では教頭先生がその役回りとなるのだろう。私の親友が一部上場の大企業の社長への

誘いを断って退職した時の言いぐさが「テレビの前で土下座はしたくないよ」だった。

日本人は人前での侮辱的な行為を嫌うからこそ、テレビの前で頭を下げさせるというのは、大なる効果があるのだろ

うが、あまりにも日本的な陰湿さをもった行為ではなかろうか。欧米人は自分が犯罪をおかしても謝らないという程

自分の行動に自信を持っているという。これも少々行き過ぎたところはあるが、謝りすぎの日本人としては少しは見

習うべきところはあるあるだろう。

ガラの悪い都議会議員、経費を流用するために議員になったのではないかと思える議員を公の前に炙り出すのは、マ

スコミのいい側面であるが、ほどほどにしておかないと、今度は自分たちに矛先が向かってくるのをマスコミは忘れ

てはいけない。批判の矛先は収める時期も考慮すべきである。売らんかなの気持ちが強すぎるとやりすぎと批判され

る。

最近大企業の社長のなり手がいなくなっているというのもここらあたりの事情が影響しているようだ。台風の話題か

らまったく違う方向へ進路が変わってしまった。気象庁は結果的に予測が外れたとしても、謝る必要はない。初めか

ら天気予報は外れてもほとんどのひとはきにしないから。受験の世界でもまだ不合格になったからといって、受験生

の親から「高い月謝ばかりとって謝ってください」といった要求は私の塾では未だないのは、受験の合格は最終的に

は自らの力でつかみ取るものという意識が当事者に強いからだろう。

今年の久留米大学医学部受験の当日に、私の塾に私の見知らぬ受験生の母親から電話があり、「佐賀医学部を目指す

息子が市内の某医学予備校に1年通っているのですが、毎月数十万円の月謝を払い、1月になって国立の指導はでき

ないと言い出して、指導を途中でやめられてしまった。どうしたらいいのでしょう」と言われたが、なんとも答えよ

うがなく電話を切った。これもお詫びするに相当するものかどうかの言質を、私からとりたい思いがあの母親にあっ

たのかもしれない。昨今の世の中は難しくなったと思う。



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