黒田官兵衛

日本歴史 2014.08.14 Thursday msophia

NHK官兵衛が面白くなってきました。史実とかなり違うのはいつものこと。うるさく言わずに楽しめばよろしいのです。あの主役岡田氏は役作りにかなり努力しています、官兵衛は彼ほどの美男子でもないし、色男に演じられて片腹痛いのではないでしょうか。岡田氏が演じるからこ面白味がうまれのです。私は彼の演技を見たのは「永遠のゼロ」でした。時間があったから偶然見た映画でした。なかなかの演技力と思いました。

現在福岡市市営博物館において官兵衛展が開催中です。先週行ってきました。色男官兵衛にひかれてか女性が目につきました。官兵衛は色男ではないから、失望の向きも多かったはずです。官兵衛より大物の信長、秀吉、家康の肖像画が展示されていました。私は、3名の肖像画を同時に見たのは初めてでした。歴史の本には必ず掲載されている肖像画です。秀吉の画像はやや不鮮明で顔がよく見えませんでしたが、ほかの二人はリアルに描かれていて、画像も鮮明でした。迫力では、家康、信長、秀吉でしたが、やはり信長の画像が最も恰好よかったです。信長の鼻の大きさにはびっくりしました。昨年テレビドラマ化された女信長という本を読みましたが、あの本は作家の妄想がうまく整合して面白い本にはなっていましたが、信長の肖像画をみると信長が女などとは考えられないです。

さて、官兵衛ですが、ご存じの通り福岡藩の礎を気づいた武将であり、秀吉の軍師でした。戦国時代に軍師として認知されていたのは武田の軍師勘助。この軍師もNHKでドラマ化されました。川中島の決戦で上杉軍に武田軍が追いつめられたときに戦死しました。官兵衛よりかなり前の人物です。きわどい調略をやらかしていたようです。いや、実在も定かではないとか。官兵衛は裏方であるが大大名にのし上がったのですから、よほどの知恵もの、油断できない人物だったのでしょう。

歴史は歴史が好きな作家、歴史専門家であろうと、自分のイズムで解き明かせる楽しい世界です。学者は資料がないと裏付けがとれずに論文がかかけないが、資料さえあれば相当の憶測で自己認識的な歴史観を述べてもかまわないのです。作家の歴史は大衆娯楽小説ですから、無責任でよろしいです。名誉棄損で子孫から訴えられることはないです。本来彼らの書く歴史はフィクションですから。

今回の官兵衛は誰の本をベースにしていいるのか私はしりません。私的に言わせてもらうと筋書きはわりとまともだ思います。官兵衛のような大物であっても、官兵衛展でみても実に数少ない文書が残るだけです。残された手紙や公的文書から官兵衛の在りし日を探るのです。官兵衛を有岡城に幽閉した荒木村重が利休の茶道の弟子となり、再度官兵衛の前に現れたシーンは初めて知った筋書きでした。荒木村重は有岡城から脱出の後は、毛利にかくまわれていたらしいから、茶道をたしなむ世捨て人の如く直ちに再登場するのはありえないはなしです。もちろん、官兵衛が再会すれば即刻村重を切ったはずだし、それが史実に残ったでしょう。

NHKは何を考えて村重を再登場させたのか、先を見ていけば謎解きができる。そうです、なぞかけを見る人にさせたいから村重登場だったのです。ここにテレビドラマ歴史ものの背景が見えます。謎めいた人物を引っ張りこんで面白味をあげるのです。視聴率を上げねば怖い会長にどやされるのです、現場の責任者は。大河ドラマはこの程度のレベルで見ておけばよろしいのです。村重は謎多き人物です、信長を裏切り、戦国時代を生き抜いたものとして太閤記に描かれたようです。

官兵衛もまた謎多き人物です。自分の殿から諱までもらい、若くして家老職についた有能な人物です。どこで、信長の魅力をしり、どういう過程を経て信長に謁見し、圧しきりの名刀を頂いたか?さっぱりわかりません。信長のほうに残った資料にも官兵衛のことはどの程度あったのでしょうか?秀吉が官兵衛について何か沢山書き残したのでしょうか?それとも官兵衛が極秘扱いをするように命じた古文書が多数あるのでしょうか?私は不勉強でしりませんが、官兵衛は信長に謁見した時に、すでに主君を見捨てたのが、本当ではないでしょうか。あのときに、すでに播磨一国を簒奪する野望がうまれたはずです。だからこそ、わが子を信長に人質として差し出したのでしょう。表向きは、主君の子供が病弱ゆえとありますが、信長は小藩の一家老如きの息子が人質となってきたら、激怒していたはずです。天下が静謐になったのち、黒田家は旧主君の病弱な息子を家臣として迎えたから、家臣は主君に都合の悪いことは言えなかったのです。官兵衛の如く無能な主君を見限るの当時は常の事でした。官兵衛はそういう野心家だと信長、秀吉は見抜いたから、長政の身代わり人質を認めたと私は空想します。

有能な連中は、ぎりぎりのところでうまく互いを利用していくのです。無能な連中はそれができないのです。嫌いな人とは付き合わない、話さない、顔もあわせない。あの播磨地方の地侍達は保守的であったのはまちがいない。保守的な態度でも飯が食えたからこそ、研鑽せずに、近江の出と言われる官兵衛、尾張の秀吉に蹂躙されたのです。恵まれた播磨の地で幸せすぎたのです。現代も、昔も人間の生きざまは変わらないのです。


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