留年生が増加する医学部

教育 2018.02.06 Tuesday msophia

国内の大学医学部は6年制なので、現役合格すれば18歳で入学し、24歳で医師資格を取得して卒業をするのが最短ルート。ところが、都内のある私立大医学部の教育センター担当者は、「6年ストレート合格の学生は年々減っている」と明かす。地本久留米医大等は入学生の浪人年数が平均して5年だそうだから留年した場合に経済的な負担と、キャリアーnegative impactは大きい。龍年は避けたいところだ。

しかしながら、いま医学部生の留年者数が増加していることが、大学関係者の悩みの種となっている。全国医学部長病院長会議の調査によると、集計が取れる全53大学の1年生次の留年者数は2015年度で260人。2008年度からの医学部定員数増の影響を控除した補正留年増加率で見ても、定員増前の1.63倍と急増しているのだ。

都内のあるマンモス私立大学の医学部6年生は、「2年生から3年生に進級する時に10人〜20人留年する。それ以外は5人程度。留年の増加理由は、臨床科目や実習が前倒しになっていて、入学すぐに猛勉強をしなければならなくなったから。医者も人間なので遊ばせてあげてください」と話す。中部地方にある地方国立大学の5年生は、「同期では2年次に15人、3年次に数人、4年次に10人近く留年してしまった。講義に沿わない理不尽なテストもあり苦戦することも多い」。ともかく勉強家が進学する国立医学部でも龍年が増えている。


国内の大学医学部は6年制なので、現役合格すれば18歳で入学し、24歳で医師資格を取得して卒業をするのが最短ルート。ところが、都内のある私立大医学部の教育センター担当者は、「6年ストレート合格の学生は年々減っている」と明かす。


実はいま医学部生の留年者数が増加していることが、大学関係者の悩みの種となっている。全国医学部長病院長会議の調査によると、集計が取れる全53大学の1年生次の留年者数は2015年度で260人。2008年度からの医学部定員数増の影響を控除した補正留年増加率で見ても、定員増前の1.63倍と急増しているのだ。


都内のあるマンモス私立大学の医学部6年生は、「2年生から3年生に進級する時に10人〜20人留年する。それ以外は5人程度。留年の増加理由は、臨床科目や実習が前倒しになっていて、入学すぐに猛勉強をしなければならなくなったから。医者も人間なので遊ばせてあげてください」と話す。中部地方にある地方国立大学の5年生は、「同期では2年次に15人、3年次に数人、4年次に10人近く留年してしまった。講義に沿わない理不尽なテストもあり苦戦することも多い」。九大医学部に行った私の教え子は何年留年したか分からないほど長きにわたり留年をつづけたあげく、昨年28歳で医学部卒した。入学時は7番で合格したほどだから勉強ができないわけではないが、マイペースの学生生活を送りたかったらしい。福大医学部へ行った生徒は1年生時に一般教養の心理学の単位を落として留年し、そのせいで調子がくるってしまったのか卒業するのに随分とかかった。他の学部では心理学で落ちるなどありえないが、医学部は先生の対応が厳しいようだ。

医学部は1つでも必修科目を落とすと留年になるなど(福大は特別のようだ)、他学部と比べて進級条件が厳しい。特に2年次になると解剖学や生理学など膨大な情報量の基礎医学の講義が朝から夕方まで毎日入り、脱落者が多く出てくる。ただ、こうした厳しい進級条件は今に始まった話ではない。医学部人気の過熱で、日本中の優秀な頭脳が医学部に集まっているはずなのに、なぜ留年者数が増えているのか。

その理由の一つは、少子化により18歳人口が減っているにもかかわらず、2007年まで7625人だった医学部の定員が、この10年間で9420人に拡大されてきたことだ。医学部志望者数が増えて偏差値は上がっていても、「全体の学生のレベルは若干落ちている」という見方が大学関係者からあがる。


合格した後で急激にモチベイションが低下するのも医学部学生のようだ。就職が恵まれているとか、収入が比較的よいとか、偏差値が高いからという都合のいい観点から大学を選択しているものが多いから彼らは鼻から合理的精神しか持ち合わせていないである。地域貢献や老人介護、難病治療といった苦労は頭にないだろう。医者不適格な連中がかなりの割合で合格するから悲惨な結果となる。医学部に合格した後には燃え尽きてしまって学校へ来ないものもいる。医学部が予想以上に勉強を強いられると分かりやる気をなくすのもいる。心から医者になるという気持ちがなかった人達は厳しい洗礼を浴びる。医者になった後も先輩には逆らえない階級差別が眼前に立ちはだかるから、あまり自由な雰囲気はないだろう。久留米医大は医者の子供が多いだけに入学すれば意外と頑張るし、楽しそうにやっている。留年は1学年で10名程度らしいから、一部の地方公立医学部よりはずっとましである。問題は地方公立医学部である。ここに医者不適格な連中が隠れ潜むのである。弊害を除去するために試験制度を改める必要があるだろうとおもう。医学部志望者は「医者とは仁術なり」という言葉をよくかみしめてほしいものである。また医者は名誉も持ち合わせて、自尊心も高い、また医師免許があれば努力する限りは食うには困らないはず。こういった恵まれた人達でもある。都合のよい考えだけ持っていても医者は務まらない。
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東進予備校のアキレス腱

教育 2017.05.10 Wednesday msophia

FACTA ONLINEに掲載された記事

学習塾大手・ナガセのフランチャイジーで「東進衛星予備校」を神奈川、愛知、東京などで36校舎展開する「モアアンドモア」(横浜市緑区)が3月13日、民事再生法の適用を申請し破綻した一件が教育業界で話題となっている。

同社の在籍生徒数は2千人規模に達することからナガセは同日スポンサー基本合意書を締結し、「事業継続に向けて最大限の対応を図る」と発表。これをうけ東京地裁も迅速に再生手続開始決定を出した。そもそも申し立てのスケジュールも「受験シーズンに破綻すれば生徒に動揺を与えかねない」(ナガセ広報部)ため、国公立大の後期試験直後を選ぶなど周到に準備された。「プレパッケージ型民事再生」の模範事例といえる。

しかし、教育関係者は「この倒産でナ ガセが抱える問題が垣間見えた」と指摘する。帝国データバンクはモア社の負債総額を当初15年12月期の決算書から12億円と報じたが、再生手続開始申立書を確認したところ実際は47億円。決算書はデタラメで、しかもモア社の柏木秀信社長は資金難にもかかわらず16年に6600万円の役員報酬を受け取っていたこともわかった。こうした会社にナガセはスポンサーの責任として「校舎の賃料対応のため早急に6千万円貸し付ける」(申立書)という。

柏木氏の経歴が興味深い。慶大卒後、野村證券に入社してエリート街道を走っていた。しかし、金融法人部課長だった1988年、「地上げの帝王」といわれた最上恒産の故・早坂太吉会長らから巨額の資金を詐取していたことが内部調査で発覚。懲戒解雇された上、同年10 月に東京地検特捜部に詐欺容疑で逮捕され、90年に東京地裁で懲役3年、執行猶予4年の判決を受けた。

会社に無断の株売買でこしらえた損失を埋めるため、野村から内部資料を持ち出し「社外秘の推奨銘柄の特別運用だから必ず儲かる」などと信用させる手口でカネを受け取った。そのうえで早坂会長の株運用係をつとめた仕手筋「東京商工リース」元社長の土橋正彦と組んで、そのカネで別の証券会社を通じて鉄鋼、造船株を買っていた。しかし87年10月のブラックマンデーで大損し、悪事が露見したという。

実はナガセを一代で築いた永瀬昭幸社長も、野村OBだ。1974年入社で柏木氏の1年後輩にあたる。柏木氏はモア社の資金繰りが悪化してから「永瀬社長とは長年の付き合いで懇意にしている」と信用さ せ、出店資金名目で知人にカネを無心して回ったという。

ナガセ広報部は「当時野村の新入社員は300人もおり、同期ですら全員は把握できない。柏木氏とはFC新規加盟時が初対面で、その後もオーナーの会合で年に数回会う程度」と弁明するが、それならなぜ柏木氏がフランチャイズ加盟できたのか。「逮捕歴等について不覚ながらつい最近まで全く知らなかった。もし知っていれば、教育事業者として加盟を許可していない」(同)との回答を疑いたくはないが、いずれにしてもコンプライアンス体制に欠陥があるといわざるを得ない。

合理的なビデオ授業と斬新な広告戦略、証券マンらしい大胆なM&Aがうまくかみ合い業界に革命を起こしたのは確かだが、教育事業は人材事業。この本分は揺るがして はならない。

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東進は講師を使う授業、いわゆる生の授業がコスト高となることを避けるために衛星放送という手段を用いている。
生の授業ではまともな講師がいる予備校のまともな授業には勝ち目がないことを承知していた永瀬氏が、放送室で何回も何回も収録し直した一人の講師がする一方的なお喋り授業を大手予備校の影響が及ばない地域にある学習塾をベースにして拡大した。配信といっても当初はビデオテープによるものであった。いつしかそれがCPを使っていつでも見れるデーターベースへと変貌。地方では高校生の学習環境が整備されていなかったから学習情報提供の場所として、さらに勉強場所として重宝がられるようになった。永瀬氏が学習環境を提供することがビジネスになることを看破したのは賢い。今の子供は自立心が不足しているから自習室でないと勉強ができないと思いこんでいる人が多い。優秀な生徒も、そうでない生徒も家で勉強しないでお金をはらって自習室で勉強するという妙な風潮をはやらせたのが、東進衛星である。余計なお金を払ってもらわないと東進ははやらないことを永瀬氏は知っていたのだ。
実を言うと16年前に東進が久留米に進出しつつあったころ、私は東京の東進本部を訪ね、フランチャイズの一翼を担おうかと思っていた。吉祥寺にある東進本部を訪ねたところが人っこ一人いない本部ビルみいたのは九州地区担当者一人のみだった。東進予備校と言っているが予備校生等一人もいないということが現場へ出向いて初めて分かったしだいだった。講師は代々木ゼミナールを辞めた連中がほとんどだった。代々木は講師給単価が5万になると辞めさせられるからいき場がなくなった口のうまい講師を安い給与で雇い、代々木の教材を磨きをかけてしゃべるようにしたのだ。あれから隙間を巧みについて伸びてきた東進衛星もついに化けの皮が剥がれたのだ。フランチャイズ方式で学習塾があげる利益の半分は取り、同じような授業をCDにコピーして生徒に見せておけばいいのだから、かなり楽な営業で収益が上がる仕組みができていただろう。しかも昨今はレベルが低めの生徒が東進へと流れる傾向がつよかったから、かなり駿台、河合塾への脅威となっていた。東京で起きたフランチャイズ校の経営破たんは永瀬にとって頭が痛いはずだ。破たんした塾の経営者が前科をもっていた人物だと知りもせずにいたとは、あの野村証券OBであった永瀬氏の言う言葉だから、信用できない。生の授業か配信授業のどちらを選択するかは個人の自由であるが、複雑なことを本当に分からせるには直接教える際も、先生である私はとても苦労することを思うと衛星放送の展開力にも限界があるだろう。質問してすぐに答えてもらえないのも衛星放送の欠点だし、勉強を教えるには温かい血がかよっていないと生徒には通じないとも思える。果たして衛星放送とは生徒にとって利益になっているのだろうか?永瀬氏は儲かることしか考えずにいたのではないだろうか?教えることは金儲けとは根本的にことなるものだという考えが永瀬にはないだろう。儲ければそれでよし、これが東進の経営哲学であろう。田舎の学生たちに優れた講師の授業を配信して彼らのためになりたい、ひいては日本の教育に貢献しようという考えがあったのあろうか?
久留米市内で東進衛星を配信するのが英進館である。大学受験の指導力はないのにさもあるかのような誇大宣伝を駆使して生徒数を伸ばしているようだ。九代医学部に数十人合格するなどありえないのに平気でそれを実績として宣伝する手法は永瀬産業の差し金であろう。本来消費者庁が調査してしかるべき架空の実績をもとにして営業をのばしている英進館に、金融会社が投資をするのが不思議である。実績はない物にあるかの如く装い融資を実行するのは、銀行への背任行為、ひいては株主を裏切る行為である。決算書はでたらめな会社が東進の嵩下に隠れて粉飾決算を行ってきたのだから、あきれてしまう。
教育はお金で換算できるしろものではないことを彼らは肝に銘ずるべきである。教育で儲けようと思うやからはもっとdirtyな人達とdirtyなbusinessをすればよいのだ。純粋で、無垢な子供たちをdirtyな連中の手に預けてはいけない。昨今の安逸な手法に乗せられずにじっくりと勉強はするべきである。
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公立中学の内包する問題

教育 2016.04.28 Thursday msophia

東京では公立高校の進学成績の低下による衰退はす40年は続いているのではないだろうか。最近は指定校のみは都が復活させようと努力をしているようではある。一方福岡県では公立校は相変わらず進学率が良い学校が6校ある。北九州に2つ、福岡地区に3つ、筑後地区に1つである。今日のテーマの対象はそういった旧名門校ではない。筑後地区でいえば伝習館、八女、三池である。サンデー毎日によると3つの高校の大学合格者数は質的に急激な低下傾向を示しているることが分かる。3つとも旧制中学校であった。それぞれが伝統をもつ学校であり、文武両道を旨としていたともう。伝習館の偏差値は62、推薦合格者は70パーセントとれば合格とあるが、数値は少子化とともに甘くなる事実を踏まえて考えると、それほどレベルは高くない学校といえる。九州大学の合格者数が20名いたのはずいぶん昔だったとおもう。同じ柳川市内には柳川高校があり、佐賀市には弘学館があるから、生徒獲得のせめぎあいも厳しいのではないか。柳川高校は一昔前はテニスと野球の名門校で、進学とは縁がなかったが、最近は進学クラスを設置したし、野球名門校の名前も捨てたようだ。私も昨年予備校で教えた生徒の一人が柳川出身で久留米医学部に入学した。柳川から医学部合格者が出るのは一昔まえではありえないことだった。中学受験で弘学館あたりにいき損ねた人が伝習館へいかなかったのだろう。
最近の如実な傾向は中間層の生徒が中学校進学で私立中学へ消えてしまう学生が多いことだ。筑後地区では八女学院、大牟田が生徒をかなり獲得している。特に大牟田は今や駅伝の名門にとどまらず、中学校を作り、医学部進学者を獲得して、実績も出始めている。昨年度は防衛医科大と慶応医学部に入学するような生徒もでている。私の塾に3年間来た大牟田の生徒は久留米医学部に一浪で合格した。弘学館、青雲、附設へ行かずとも医学部でも合格できることがはっきりしているのである。大牟田は三池を、八女学院は八女校を抑えてしまったようだ。二つの公立校の進学率は悲惨である。このままでは定員も満たせなくなる恐れがあるだろう。
中間層が中学進学の段階で私立中学に進学する理由は何だろうか?公立中学が避けられる理由は何だろうか?少子化とともに中学校での指導もやりやすくなったはずだが、公立中学は避けられるのである。易しいレベルしか教えない授業、形式的な平等の押しつけ、上辺だけまとめていこうとする学校の運営、部活中心の学校運営、イジメの発生率の高さ、生徒の家庭環境の差異など、数多いものがある。こういった問題を抱える公立中学が嫌厭されてるのは間違いない。福岡では城南高校が進学率が低下しているのは、大濠、西南、佐賀早稲田の存在が大きい。
公立高校は進学を旨とするわけでもないから進学率が低下して学校が倒産することもないが、安い学費でなるべく良いう教育を施す役目は果たすべきではなかろうか。それこそ公立高校の重要な機能だろう。公立中学も然り。このコストパーフォーマンスの高さが公立学校のメリットであろう。家庭環境がよくない生徒が一向に上へ行くチャンスを与えられなくなる社会はよろしくない。イギリス、フランスなどがいい例である。差別が差別を生み社会の硬直化を招くこととなる。
公立高校の先生は,難度の高い採用試験に合格してその挙句が分数も解けないレベルの低い生徒に授業をするという
矛盾に苦労する。そしてそういった現実に嫌気を感じた先生は辞職して、私立の教師のポストを得たり、大学の研究者のポストを得たりする。一方私立の高校の先生は公立の採用試験には不合格の人が多かったはずだが、そういった先生が努力して進学実績を上げるのだから、コストパーフォーマンスがよろしくないと思う。
今の公立高等学校の衰退の原因は中学校にあるようだから中学校のあり方に大ナタをふるうべきだろう。戦争に負けて学校制度までアメリカに変えられた日本は、6、3、3制という教育制度を始めたのだが、それが良かったのか?それとも公教育の本質を再考するべき時がきたのか?私立教育を中心として教育制度を再構築するのがよいか?このまま中途半パンパな公立教育を続けていけば、税金が無駄に使われることになるし、人材の活用も生かされない。日本は今、問題を数多く抱えるが、教育を最優先事項の一つとして政府はとらえるべきである。安倍首相は日教組が嫌いだろうけれど、現場の人たちと協力もしなくてはいけないだろう。戦後培われてきた教育界は安倍首相でも手を出せないほどのものなんだろうか。
一例をあげると、福岡教育大学付属では今も尚、君が代は歌わない、歌わせないという。国立の教育機関教育大学が君が代を国歌だと認容しないでいるし、それに対して市の教育委員会は口も出さない、文科省も手が出せない。右翼的な政治家もこの慣行を黙認したまま、一般人にはわけがわからない。それなのに親は教育大学付属へ行かせたがる。陰湿ないじめがないしレベルが高い子供集まるからだ。一方付属の教師は受験と無縁の教育を自由に気ままに施し、その後は県教育課界の管理職となっていく。生徒は塾へ通って附設を目指す。授業は気休め的なものでいいわけだ。税金の無駄遣いだと私は思う。バラバラな思いを持った人たちが作ってきたのが戦後の教育か。
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悪ガキに開き直られる公立中学教師

教育 2014.08.02 Saturday msophia

2日前のNHKにテレビ報道で見た番組で、公立中学教師が悪ガキの連中が挑発的な高度をられて、指導力の限界を感じ
ているとのことであった。授業中に校門を飛び越えて逃げ出す悪ガキを、逃げないように悪ガキの体に手をかけて引
き戻すと「体罰!体罰だ!」と悪ガキがわめき、その言葉に教師はひるみ、悪ガキにしたい放題のことをされて、泣
き寝入りしているとのことだ。

大阪大宮高校での部活顧問の体罰による生徒の自殺がもとで、生徒に手をかけることさえできなくなったということだ。大宮高校での自殺事件は公立なのにバスケットではスポーツ特待生度を使い選手を集めることによって、名門校になって、勝利至上主義に凝り固まり、そのあげくは有名監督に成り上がった個人の問題行動である。

悪ガキの校門を超えての逃亡を阻止することは話が違うと思う。先生たがは悪ガキを指導するのは当たり前のことだし、手をかけて門から引きずりおろしても、「暴力」を振るった認識はないはずである。しかし、悪ガキが「体バツだ!」とわめき散らせば、先生がひるんでしまうのはどうしてか。

NHKKのあの東大出身のキャスターはいつも波風がたたないような、よくわけもわからない、ごまかしのコメントを出
す名人であるが、あの日も「体罰はいけません」とはっきり述べていた。大宮の問題と使徒の指導問題とはちがうのだから、それは体罰とは言えないと、なぜ言い切らないのか、まったく不可解であった。やっぱり、NHK受信料はしはらいたくないという感情がふつふつと湧き上がる。

私自身中学生時代は極めて精神構造が荒れてしまい、自分で抑えがたい感情にぶりまわされた思い出がある。先生に
ひっぱたかられたこともあったし、かなりな問題行動をしたこともあった。今振り返ると、なぜあそこまで荒れたの
か自分でもわからない。自己主張を、間違って発露していたのである。まずは、自分を他人に認めさせたい気持ちが
強いから、その気持ちに自分がぶりまわされる。中学生3年となると、図体が急に大きくなり、他人に認められ、目
立ちたい一心から、暴力的になるのがいる。

校門から逃げ出す悪ガキも「自分が一番他人がやれないことをやれるところをほかの生徒に見せたい」一心でやって
いるのだろうが、こういう悪ガキは怒るべきタイミングをはずすと、できそこないかねない。私の中学時代にも3年
になって、突如として派手な悪さを始めたものがいたが、悪さが高じて、あげくの果ては、他校に殴り込みをやらか
していた。中学3年時代はそれまではあまり目立たない生徒が突如として荒れ始める年頃である。2年まで悪ガキだ
った連中はそのまま変わらずにいくか、むしろ大人しくなるのもいる。

ともかく悪ガキになった生徒を校門からでていかないように指導するのに手をかけて、悪いところは何もない。NHKの
大越キャスターは問題の認識が間違っている。生徒に常識を教えて何が悪いのだろうか。

その時のさらなる報道内容でびっくり!したのが、ある中学校では悪いことをした生徒に、先生が悪い点をみつけたら、反則切符を切る学校があるということだった。結構面白い試みではある。反則切符を切った時点で、生徒とコミュニケイションができるからである。確かに、大人しげなせいとならば、言葉を交わせば「先生に認めてもらった」という効果がでるだろう。

しかし、真の悪ガキは切符くらいでは満足しないはずである。彼らは「もっと過激に熱いコミュニケイションを求め
る」のである。しかも、本人はそういった問題行動をする自分を理解できていないし、自分でコントロールできない。いわば悪ガキが悲鳴を上げているようなものである。それが先生や同級生への暴力行為などとして現れるのであ
ろう。熱血先生でないとこの種の生徒は指導できないと思う。私の中学時代の先生は、生徒をひぱったきながら、先
生自身が涙することがあった。先生は手が出るのは早かったが、情も深かった。あういう先生のおかげで悪ガキがま
ともな人間に育つのである。熱血には、熱血をもってしかこたえることはできないのでないだろうか。悪ガキには卒業時によくなぐった先生に果たし状をつきつけたものもいた。先生に負けたら、すっきりしたそうだ。

私が住む久留米市諏訪中学校は、熱血先生が引退されたら、すっかり校風がわるくなったそうだ。たった一人の先生
が悪ガキ一切を引き受けるのは無理な話だ。「校長!あんた何やっているんだい」と言いたい。問題があるときにだ
けあたりさわりのない釈明が上手な人が校長になる今の教育制度は間違いである。校長も型破りの、大物がでていい
のではないだろうか。ペーパーテストなどをして校長任官を決める今のやり方を変えるべきである。お話し、釈明、
頭の下げ方、管理行為が上手な人を校長にするのは間違いである。

さらにはそういう手順を踏むのが上手なだけの人が最後の登竜門と狙いをつける、教育委員会は解体すべきである。
実は、教育委員会ほど厄介で物事がすんなりと通らない機関はない。安倍首相が教育委員会解体を主張するのも、こういった無責任者の集まる欠陥機関が有害機関となって、公的教育の健全化を阻害しているとの認識があるからだろう。私の知り合いの弁護士は久留米教育委員会委員に選任された後の4年間は、教育委員の会議にほとんど出席することもなく、委員としての手当てを受領していたとか。でたらめもいい加減にしてほしい。

私立学校は教育委員会の支配下には直接ないから、学校の先生が少々の体罰を課そうと、問題になっていない。私の
塾生の一人で私立校に通う生徒が、「先生が生徒を殴った時に、殴られ戸と痛いから、教壇から教室の一番後ろに生徒が下がっていったら。先生は殴り続けたんです。怖かった」と言ったことがある。そういう殴り方は見ている生徒全員の反発を招く傾向が強い。こういったこともクラスのまとまりがなくなり教師にとってはまた厄介な問題でる。暴力は、振るわれた人だけでなく、振るった人にもトラウマを及ぼすから、必要以上の体罰は避けるべきである。

すごむだけで、おっかない!と生徒に思わせるような先生が実は一番優しいひとだったりもする。この手の先生は手
を出さないでうまくクラスをまとめ上げることができる。こういう先生が昔は学校に数名いてくれたのだが。今は優しげな先生が多数を占めるのであろうか。さらに、公立では女性教師が半数を占めるだろうから悪ガキ退治はうまくいかないだろう。

教育評論家・尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易ではないか。学校の自殺行為でとんでもない話だ。背景には教諭の力量不足があり、他生徒への『見せしめ』の意味もあるのだろう。心の琴線に触れるような指導をせずに、生徒が更生するとは思えない」と厳しく批判している。

私の知り合いである元高校教諭は新任として教鞭をとった直方市の農業高校において、生徒を指導すると仕返しをされるのはよくあることだった。ある時は、体がでかい連中に廊下で取り囲まれてすごまれたし、また、ある時生徒に厳しい指導をしたら、校庭にとめていた彼の車のドア下部分をぼこぼこに蹴られて、ドアは4枚とも入れ替えなくてはいけなかった。心の琴線に触れる指導とは一体何だろう?新任教諭にそんな芸当ができるだろうか?ベテラン先生ならばできるかもしれない。教育評論家は暴力にさらされずに、理想論を言えるが、先生達は負傷させられてもじっと耐える必要があるのか?まさに、憲法九条の平和主義で国を守ることができるのかという議論と同じく、先生はわが身も守れないのかということになりかねない。これでは先生のなり手がなくなるだろう。





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粘り強い学習を身につけさせたいが

教育 2014.07.25 Friday msophia

30年以上も受験指導をしてきたが、指導するのに一番厄介な子は、頭はよいが勉強はしたがらないタイプである。

こういう子は頭には問題はないが、勉強はしたくないという強烈な負のモチベイションが頭にビルトインされている

かの如しというほどに、勉強をしたがらない子である。

世の中にはいろんな人間がいることを確認しなくてはいけない。

一を聞いて半分も分らない人。一を聞いてそれ以上は進まない人。一を聞いてそれを専ら消化吸収する人。一を聞い

てすぐに分る人。一を聞いて馬鹿にする人。一を聞いて分るが興味を持たない人。

若い人は自己評価がおとしめられることが恐怖である、特に自信家の若者がそうである。

この手の人が学習には誠に不向きなタイプである。上の例で言えば、一を聞いて直ぐに分る人、一を聞いて馬鹿にす

る人、一を聞いて分るが興味を持たない人、といったタイプだろう。頭がいくらよくても粘りがない子供は大成しな

い。学習は飽くなき粘りの精神が基本である。

親は子供に立派になって欲しいから、いろんな成長刺激を与えようとする。特に,一を聞いて直ぐに分るタイプの子

かどうかは、親は日常生活の中で気付くだけに、もっと成長を期待して吸収の良い子には必要以上の成長刺激を与え

る危険性がある。

今の日本の教育傾向は、公立脅威kに信頼感が持てない経済的に恵まれた家庭は、子供の教育に先走っている嫌いがあ

る。幼稚園児になると幼児教育を施し、小学校に入ると受験塾へ通わせ、さらには、スポーツ塾、ピアノ、バイオリ

ンの練習もさせる。教育熱心な家庭では、公教育に入る前に、教育されてしまった子供にしているのである。

こうなると、妙な自信を持った子供がすでに小学1年生のなかにいるわけで、平等教育を標榜する公教育では、そう

いう子供は扱いづらいはずだ。

そういう子供は自分を「できる子」だとみなすから、学習の壁にぶち当たった場合が、誰も助けられない子供になっ

てしまう恐れがある。先行投資で育てられた子供には本当の自学自習という癖がついていないから、実は、そういう

子供は一生面倒をみてもらう家庭教師が必要なのだが、日本の親は一流私立中学にいれさえすれば、もう大丈夫とは

やとちりしてしまう。

過保護に教育された子供が、突如として自学自習の人間に変貌できるはずがないのに、親はもう大丈夫だと確信する

る。粘りのある、向上心をもった子供に育ってほしいと、親は期待するが、当の子供は、進学校に入学すると、学校

の教え方に面食らうのである。

久留米附設は自学自習をモットーとする学校であるから、問題集の解答は生徒に配布する。すなわち、先生は根掘り

葉掘り指導しないで、自分で勉強させるし、宿題は解けないようなプリントでしごかれる。英進館のようなサービス

いっぱいの学習はない。自立心が育ちそこなった子供は当初からついていけなくなる。

しかも、そういう子供たちはプライドが高いし、本当の意味で勉強が好きでない場合があるから、勉強を粘り強く

続ける気力が乏しい。教えられてそこまで育った子供は、有難味がないために、あっさりと勉強をしなくなる。

先行投資の子供にはこういったリスクがあることを忘れてはいけない。

日本でも小、中、高、大学一貫の学校がもっと必要になってきたということだが、久留米のような田舎ではそれも

望めない。田舎では理想の教育が受けられないということである。慶応大学では付属高校から来る生徒の中に優秀

な人がいるが、そういう人たちが慶応の教授になり、後輩を指導するというシステムができている。大学から入学

する人は完全な慶応義塾生とはみていない。一面、保守的なやりかただが、確かに、筋が通ったエリート養成法だと

思える。



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